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ボストンで13年働いた研究者が、アカデミック・キャリアパスで切磋琢磨する方法を発信することをめざします。
『「ニート」って言うな!』の著者のひとり本田 由紀氏の朝日新聞でのコラムより:

...「人間力」を磨けなどと言っている場合ではない...
...世の中が不透明化し、煙が渦を巻きながら立ち込めているような状況で、個人はどうやって対処していけばいいのか。とても大変な課題です。その中で、教育界や財界、政府などがそれぞれ、「人間力」とか「社会人基礎力」とか「就職基礎力」を身に着けさえすれば何とかなるといった言説をせっせと生み出している。一般の若い人にとっては「そんなこと言われても」と戸惑うような漠とした無責任な要請を、権力や諸資源を手にした年長世代が投げかけている。

 ほんの一握りの起業家を目指すような若者は、確かに主体的で創造的な個人でしょう。もちろんそういう人はいるけれど、そのイメージをすべての若者に当てはめて働く意欲を喚起・動員するという発想は、成功や失敗の責任を個人に転嫁しているだけで、何の解決策も提示していない。せめて、周囲から、完璧な強い人間になれと若者を追い立てることはやめて欲しいですね (2007/06/03)


(はてなダイアリー)ー人間力とは
学力やスキルだけでは量ることのできない、人間としての総合的な魅力のことらしい。

「人間力」という言葉は”哲学用語”であり、思考を停止させる。
本田氏の意見に同意する。「人間力を磨けは」哲学としては許されるが、仕事上で本気で要求するようなことではない。(少なくとも新人のリクルートで要求するようなものではない。リーダークラスの人材のヘッドハンティングでは許されるかもしれないが...)

なぜなら、「人間力」という「超包括的概念」を持ち出した時点でスペシフィックな「各論」を議論する価値がなくなる(もしくは、まともに議論する意欲がなくなる)。「人間力」とは何でもありである。人間に関することは何でも人間力といえる。人間が生きていくためにすることは何でも「人間力」と言うことができる。

しかし、勉強やトレーニングで磨くことができるのはスペシフィックな「各論」としてのスキルやナレッジのみである。100のスキルも一つ一つなら学習可能であるが、漠然とした「超包括的概念」のままではどうしようもない。「この仕事には”人間力”が必要である」と本気で採用側が考えているのなら、それは本当に必要な人材の資質やスキルがわかっていないのと同じである。この仕事には「カリスマ」が必要ですといっているのとあまりかわらない。

「人間力」は哲学である。哲学者とての意見でないのなら「人間力」のひとことで総括する前に、スペシフィックな「各論」としてのスキルをあげたほうがいい。

「人間力」の重要な構成因子としてよくあげられる「コミュニケーション力」も玉虫色で超包括的ある。「アカデミックの人間はコミュニケーション力に欠ける」といわれると非常にこころ苦しい。

コミュニケーションは技術より人柄とモラルだということ

ーfinalventの日記「社会に出た後で学んでおくべき12のこと」よりー



アカデミックの人間は人柄とモラルに欠けるのか?『「君はコミュニケーション力に欠ける」って言うな!』



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テーマ:労働問題 - ジャンル:政治・経済

コミュニケーション能力
新入生の講義で「基礎医学の研究者は寡黙で、実験に専念しているイメージがある」と言われました。臨床医とのイメージ比較のようです。
「んなこたあ、ない、プレゼンテーション能力が低いと研究費も取れなければ、業界でも無視される、第一、君たちに講義することもできないということになる」と答えておきましたが、新入生一同キツネに摘まれたような表情でありました。
田舎大学の教員という商売柄、田舎の役所の委員会に狩り出されることも多ければ、住民運動をやらなければいけない場合もあります。学外の世界と比較すれば、大学教員の言語能力、実務能力はかなり高いというのが私の体験です。会議を動かす能力も弁護士と同じくらい高いですし、住民運動に必要な役所との交渉能力や様々な文書や情報の発信能力も高いです。
にもかかわらず、研究者は寡黙で実験に専念しているネクラな存在というイメージがこの社会に定着して微動だにしないのが、実は不思議です。
【2007/07/28 Sat】 URL // alchemist #BII0nnzM [ 編集 ]
コミュニケーション能力
alchemistさん、
コメントありがとうございます。独立されている方は皆さん自分なりのコミュニケーション・スタイルを確立されているのですね。世間の認識とのギャップはうまく使えば研究者にとってプラスにできるのではと考えています。
Motomu
【2007/07/28 Sat】 URL // Motomu #- [ 編集 ]
う~ン・・・
実は世間は判っているのでは?だから必要な時はしっかり当てにして来るし、都合が悪くなると研究者は世間知らずと責任をこちらに押し付けてきたりする・・・ような。
知性、情報、思考、判断という抽象的なものは水と同じでタダで当然という雰囲気がこの国に蔓延しているのではないでしょうか?昔、獣医をしていた父が、夜中に駆け付けて大丈夫と診断しても、それに対して謝金を払う雰囲気はない、薬を出してはじめてお金になる・・・みたいなことを言ってぼやいていた、そんな光景と二重写しになったりします。
【2007/07/30 Mon】 URL // alchemist #UftoI4Ps [ 編集 ]
コミュニケーション能力
alchemistさん、
興味深いお話ですね。
世間のほうが”コミュニケーション能力”が上ということでしょうか...
(状況によってうまく対応を変化させているという点で)
Motomu
【2007/07/31 Tue】 URL // Motomu Shimaoka #- [ 編集 ]
そうかもしれません
確かにモトモトはいい加減な人間だったハズなのですが、この商売を何年もやっているとコトバ(例え日本語でも)に極めて厳密になってしまいます。従って、状況によってコトバを変える能力は低くなりますので、状況に応じてコトの葉をひらひら変えるのがコミュニケーション能力とすればギャップが産まれているのでしょうね。
そんな風にコトバにこだわる人間としては、ゆとり教育が画一的に時間削減の方向に行く(別に児童に理解し易いように教員を増やしても構わないハズ)のも、大学院重点化が画一的に定員の増加の方向に行く(別の定員を絞って少数精鋭できっちり鍛え上げるのでも構わないハズ)という安上がりへの指向性にコミュニケーションギャップをひき起こしているということなのでしょう。
【2007/07/31 Tue】 URL // alchemist #BII0nnzM [ 編集 ]

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プロフィール

Motomu Shimaoka

Author:Motomu Shimaoka
島岡 要:三重大学医学部・分子病態学講座教授 10年余り麻酔科医として大学病院などに勤務後, ボストンへ研究留学し、ハーバード大学医学部・准教授としてラボ運営に奮闘する. 2011年に帰国、大阪府立成人病センター麻酔科・副部長をつとめ、臨床麻酔のできる基礎医学研究者を自称する. 専門は免疫学・細胞接着. また研究者のキャリアやスキルに関する著書に「プロフェッショナル根性・研究者の仕事術」「ハーバードでも通用した研究者の英語術」(羊土社)がある. (Photo: Liza Green@Harvard Focus)

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