13年ぶりに医師として臨床に復帰させていただきました。ハーバードでPIとして自分の研究室を始めたときには、もう臨床には戻らないだろうとと考えていました。当時のブログには「医者をやめる」ことについて書いています。
医者をやめる(2)
私も含め多くの医師(元医師)にとっては医者である(あった)ということは、とてつもなく大きなアイデンティティーのよりどころである。医師をやめたいと口では言いつつもアイデンティティーを失う恐怖に打ち勝つことは簡単ではない。
また、社会人になって最初に確立した職業観(これもアイデンティティに関係するが)の刷り込みは非常に強い(洗脳に近いかもしれない)。リプログラミングは難しく、結局ほかのことをやっても最初の職業にもどってくることが往々にしてある。
医者をやめる:キャリア・チェンジとプロフェッショナルのサイコロジー「変化」に対する恐怖を克服し、前に進むための「一時的な」逃げ道はよいでしょう。しかし、まず「腐っても鯛」という仮定がまちがっています。専門知識や技術が急速に変化している現在、医者のような技術専門職では患者様に満足してもらえるパフォーマンスを発揮するためには「腐っても鯛」ではなく、「腐ったらだめ」なのです。医者には戻れるでしょうが、自分も他人も納得させるプロのパフォーマーには戻れないでしょう
ようするに、「いったん医者をやめて長い時間が経てば、自分のエゴで臨床に戻りたいと思うことはあっても、一流にはなれないから、患者様に迷惑をかけるだけなので、そんな無謀なことは慎むように」と当時は考えていました。しかしながら、そのエゴを抑えきれず臨床に一時的であるとはゆえ復帰しました。それほどまでに医師とくに、麻酔科医・集中治療医は奥深く、魅力的な仕事なのです。Dr.コトー診療所のコトー先生の「(大学病院を離れ、ひとり離島の診療所に逃げるように移るほどのトラウマを受けても)不思議に医者をやめようとは一度も思わなかった」というセリフを忘れることができません。また、23年のブランクの後に研究者から臨床医に転職した
笹井先生のエピソードにも勇気づけられました。
消化器外科で五年間のトレーニングを受けた後、臨床から離れ二十三年間、大学と製薬企業研究所で基礎研究をしてきました。企業の役職定年も近くなり、第二の人生を考えたとき、学生の頃抱いていた「僻地医療に携わりたい」という思いに駆られるようになりました
また臨床復帰に関してはやはり人間関係を重視しました。自分より年上だが能力の低い人に仕事を教えるのは、どこの世界でも楽しい仕事ではありません。臨床のブランクを埋めるために年下の先生に教えてもらわなければなりません。私はアメリカでの実力重視で、年齢に関係なくファースト・ネームで呼び合う関係になれてきたので、年下の先生に教えてもらうのは問題がないのですが、相手に気をつかわせて、ご迷惑がかかることを申し訳なく思います。やはり最後は医局にお世話になりました。私が研修医の時にオーベンとして指導していただいた先生が部長を務める病院に勤務させていただくようにしていただきました。医者の世界でも卒業年次は重要で、先輩・後輩の関係はずっとそのままです。何歳になっても、先輩には教えを請いやすいし、後輩には気をつかわず教えやすいものなのです。
しかし単にエゴだけで臨床に復帰したわけではありません。研究者としての戦略もあるのです。私はハーバードで優秀な医師であると同時に優秀な研究者やリーダーであるパワフルなPhysician/Scientistを多く見てきました。例えば私の所属していたボストン小児病院は常に全米で1位の小児病院の座を長い間キープしていますが、その組織を率いるCEOのDr. James Mandellは超多忙であるにもかかわらず、エフォートの数%は常に患者様に直接関わることに割いています。時間配分さえ適切であれば、臨床と研究やマネージメントは両立し、臨床から得られるモチベーションやインスピレーションは、研究に非常に強力なドライブ(推進力)を与えてくれると考えています。
6月末日までは大阪成人病センター麻酔科・副部長を専任させていただきましたが、7月より三重大学教授専任となりました。成人病センター退職に際し、麻酔科部長の
谷上先生には素晴らしいメッセージを、
麻酔科スタッフの皆様には送別会での美味しい夕食を、
手術室看護師・スタッフの皆様からは美しい花束等を、ICUの看護師の方々からは温かい言葉をいただきました。ありがとうございました。