福島原発の最悪のシナリオとは、先日のVideonews.com「あえて最悪のシナリオとその対処法を考える」での飯田哲也氏(NPO環境エネルギー政策研究所所長)・小出裕章氏(京都大学原子炉実験所助教)によれば、一つは(可能性は低いが)再臨界による”爆発的事象”が起こり、チェルノブイリのように一気に放射性物質が大気中に放出されること。そして、もう一つの”より現実的な最悪のシナリオ”とは、大きな爆発はおこらないが、局所的で持続的な爆発的事象により、現場での作業が難航し、現在のように十分に冷却できない状態が長期間続き、その間放射能汚染が徐々に広がり、あらゆる面で国民の健康・生活を蝕み、国が衰退していく可能性である(長期間とは数年の可能性もあるが、チェルノブイリでは現在でも3000人以上の職員が施設の安定と維持のために働く必要があるらしいので、数十年から半永久的である可能性すらあるという)。
最悪のシナリオが語られない理由のひとつに、パニックや日本の将来性や経済的価値に与えるネガティブな影響の大きさを懸念するという動機は容易に想像できる。さらに神里達博氏(東京大学特任准教授・科学論)は
文化系トークラジオ・ライフ「このメディア環境を生きる」で、日本に特有のある国民性・文化に言及している点は興味深い。
神里氏によれば、日本では危ないことや悪いことを語る人を責める傾向があるという。これは「悪い知らせを語る使者を斬る」という日本古来の慣習に見られるように、言霊(ことだま)思想に根ざしており、「語った事は現実になる」という思想が影響している。つまり、悪いことを言う人(つまり警鐘をならすひと)は、悪いことが起こることを願っているということになる。そのため、だれも最悪のシナリオを言い出せないのかもしれない。