研究者が自分の研究成果を世に問うときに最も恐れるものとはなんでしょうか。まず最初に思いつくのがレジェクションでしょう。自分の仕事のクオリティーや、時にはその存在価値に対する辛辣なネガティブコメントほどショックものはないでしょう。投稿した論文が大きなネガティブコメントなく、無事アクセプトされた時にはほっとするものです。確かに短期的には世間やコミュニティーのネガティブな反応が最も恐れることで、大過なくやり過ごすことで良しとすることもあるでしょう。
しかし、長期的に見て最も恐れるべきことは”全く反応がないこと”なのです。ネガティブなコメントをくれたレビュアーは少なくとも自分の仕事を貴重な時間を割いて読み・考え・コメントを書いてくれているのです。短期的には破壊的に思えるネガティブインパクがあったとしても、反応があるかぎりそこには成長のカギがあるのです。
例えばプレゼンテーションのリハーサルで問題点や短所を指摘しなければならないときには、「短所:areas of weakness」を「areas for improvement」や 「opportunities for improvement」と、相手に破壊的なネガティブインパクトを与えないように”政治的に正しく”言うように私はこころがけています。
これとは対照的に、無反応というのは短期的には大きな痛みを伴いませんが、長期的には”ゆでカエル”のように緩慢な死を意味することさえある病理であり、研究者だけでなく芸術家やビジネスパーソンなど”価値あるもの”を造り出すことを職業とするもの、また表現や発信することを目指すものが、真に恐れるべきものだと考えています。
今回「やるべきことが見えてくる研究者の仕事術」を出版させて頂いたときにも、やはり最も気になったことは読者の方々からの反応が全くないかもしてれないということでした。たとえネガティブなものであれ本を読んで反応していただければ、それで十分であるという思いがありました。幸いなことに現在まではネットと編集者さんをとおして知る限り、おおむね反応はポジティブであると感じています。また、たとえネガティブなコメントであれ貴重なお金で本を購入し、貴重な時間を割いて本を読み、コメント書いて頂いた方にも感謝しております。
そして、「藤野の散文-菊の花、開く」の藤野氏のように、
自分が「これ」と思った本と出会うと「徹底的にそれと向き合い、咀嚼し尽くす」というのは年に何度もないことだが、とても重要な行為だと今回気づく。
何回も読み返していただき、「研究者の仕事術、の活かし方」という連作で、新たな”価値”を生み出されている方もあらわれ、驚きと喜びを感じております。これは「研究者の仕事術」の前身である実験医学での連載「プロフェッショナル根性論」を書き始めた時には考えもしなかった広がりであります。
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