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ボストンで13年働いた研究者が、アカデミック・キャリアパスで切磋琢磨する方法を発信することをめざします。
激動の2008年は10大ニュースで単純化したり、無視するにはあまりにも多くの、そしてインパクトの大きなことがありました。

2008 has been an eventful year to say the least - it is difficult to sum up the thousands of stories in just a handful of photographs
ーThe Big Picture, BOSTON.COMー



以前にも紹介したボストングローブ誌のフォトブログThe Big Pictureが2008年の世界の出来事を120枚の巨大な報道写真でふりえっています。なかには暴力と人の死を取り扱った正視に耐えない写真もあり、”Warning: This image contains graphic or oblectionable content. Click here to view it”という警告が随時表示されます。

The Big Picture, 2008, the year in photographs
写真1番から40番
写真41番から80番
写真81番から120番


あらためて報道写真のもつパワーを感じずにはいられない120枚です。

追記:ニューヨークタイムズでは政治、経済、国内、海外、イラク/アフガン戦争、地方、スポーツ、アート/エンターテイメントと8つの分野各160枚、計1280枚の報道写真で2008年を総括しています。

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高校英語、英語で教えるべし(朝日新聞)

文部科学省は22日、13年度の新入生から実施する高校の学習指導要領の改訂案を発表した。「英語の授業は英語で行うのが基本」と明記し.....改訂案は「授業は英語で」を初めてうたった。長年の批判を踏まえ「使える英語」の習得を目指すという。



日本人は読み書きはできるが、話せないのか?

『高校英語を教師が英語で教える」ことは、「使える英語」の習得の戦略としてはあまり効果的ではないのではないでしょうか。文部科学省は「日本人の英語の問題は、読み書きはある程度できるが、口頭での英語コミュニケーション(=”使える英語”)が不得意なので慣れる必要がある」と考えているのでしょうが、現状では「読み書きの能力」さえもそれほど高いとは思えません。もちろん多くの例外はあるでしょうが、日本人の英語のEメールを見れば、大学で高等教育を終了した人の英語の「読み書きの能力」のおおよそがわかります。

21世紀の”使える英語”とは英会話のこと?
もう一つ考えなければならないことが、”使える英語”というものがインターネットの発達とともに”口頭での英語コミュニケーション”一辺倒から、Eメールでの英語コミュニケーションとそれに必要な「読み書きの能力」へと変化してきたことです。”口頭での英語コミュニケーション”はいつの時代にも重要なことにはかわりありませんが、これからは今まで以上に英語でEメールのやり取りができる能力が重要になります。

『高校英語を教師が英語で教える」ことが、最良の方法?
”口頭での英語コミュニケーション”のプライオリティーは少し下がったといえ、依然としてして重要です。しかし『高校英語を教師が英語で教える」ことが、最良の方法でしょうか。個人的な経験からいえば、英語コミュニケーションで最初に挫折感を覚えるのが、ネイティブの喋る英語が(マンツーマンであれ、ラジオ英会話であれ)ほとんど理解できない時です。これを克服するために、耳をならすと称してラジオ英会話を毎日15分間何年も聴いたりしますが、実際の会話になるとまたほとんどわからず、より深い挫折感を味わいます。この繰り返しが英語の苦手意識を刷り込んでしまいます。ですから、英語教師が日本人であれ、ネイティブであれ、”耳をならして英語の話し言葉がわかるように訓練する”という戦略を取る限り、その過程で多くの人は挫折してしまうでしょう。

コミュニケーションのクラスでは’英語のできないひとを教師に!
”英語がわかるようになるまで耳をならす”という途方もなく長く、教室で学ぶには効率の悪いスッテプで挫折しないようにするためには、そのステップをなくしてしまうのも一つの方法です。英語が話せるようになるためには、英語を聴いていてもしかたがないのです。話さなくてはならないのです。以前のエントリーで書いたように、留学したときに英語が短期間で話せるようになる方法は、ネイティブとより多く話すことではなく(英語が話せないときほど、聞き役に回ってしまうので)、自分より英語の話せない人を見つけて、とにかく自分の思い(世間話、自己紹介、質問、愚痴、仕事のことなど何でもよい)を”壊れた英語”でひたすら話すことです。(”壊れた英語”は今や普遍語=”使える英語”の地位を、少なくともサイエンスの世界では得つつあります:福岡伸一著「できそこないの男たち」にも、そんなエピソードが出てきます)

高校英語コミュニケーションのクラス(案?)
高校の英語コニュニケーションの時間は、生徒が今まで学んだ英語を駆使して、”壊れた英語”を交えながら先生に向けてひたすら話しかける。先生は常に聞き役に回る。内容に関する質問を日本語でしてもよいが、英語で質問したり、文法などを訂正したりはしない。ひたすら生徒に話してもらう。英語表現や文法ではなく、話さんとする内容や熱意(ボディーランゲージ)を評価する(もし評価する必要があれば)。(”英語Eメールのクラス”では英文法と表現を、英語のできる先生からみっちり教わってください)。

生徒が英語が話せない(話さない)のは、その必要がない、つまり聞き手がいないからです。聞き手を作れば、話さなくてはいられなくなる。必要なのは上手な聞き手をつくり、生徒が怖がらずに話すニーズを持ち込むことです。








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「就職は目的意識ないと」 首相、ハローワークで若者に(朝日新聞)

麻生首相がハローワーク渋谷を視察した際、求職に訪れた男性に「何がやりたいか目的意識をはっきり出すようにしないと、就職というのは難しい」と声をかけた。..... この首相のアドバイスに対して民主党の鳩山由紀夫幹事長は「誠に的はずれだ」と批判し、「なかなか自分の思い通りの仕事が見つからない状況だからこそハローワークで探そうとしている。『しっかりやれよ』と言葉をかければ、彼らもやる気が出る」とたしなめた。



麻生首相を弁護する義理はありませんが、この記事の引用部分からは、首相は「目的意識をはっきり出せ」と言っているのであり、「目的意識をはっきり持て」とは言っていません。実はこの違いは就職において、けっこう重要なことを含んでいるのです。「目的意識をはっきり出すせ」とは面接でのプレセンテーションスキルの問題ですが、「目的意識をはっきり持て」は人としてのあり方の問題です。

就職まえに働くことに関して「はっきりした問題意識を持っている」ひとや、「はっきりした問題意識を持っていると思っているひと(錯覚しているひとを含む)」はおそらく幸福な少数派です。普通は「はっきりした問題意識」は実際に仕事をしているうちに生まれてくるものなのです。しかし、就職の場での面接官もそんなことはある程度承知でしょうし、企業のニーズと価値観にフレキシブルに対応できる人材を欲しているにもかかわらず、(多くの場合)「はっきりした問題意識」を要求します。

おそらくこれは、ひとの潜在能力(どれだけ新しい環境で仕事ができるか)を予測できる単純で特異的なパラメーターなど存在しないため、「はっきりした問題意識」をプレゼンテーション/ディスカッションできるスキルのような(人材開発会社が好みそうな)パラメーターを代用しているに過ぎないという側面があると思います。

ここにはダブルスタンダードが自ずと存在するのです。ですから、「何がやりたいかというはっきりした目的意識」が十分に形成されていなくても、「人としてのあり方に」深刻に悩んだりする必要はないわけで、そんなものは働いて経験を重ねれば生まれてくる人には、生まれてくるのです。(もし働くまえに問題意識がなかったら悩んでもしかたがない。問題意識をもつためには働くしかない)しかし、働くための前段階である面接では「何がやりたいかというはっきりした目的意識」をプレゼンテーション/ディスカッションするスキルで評価されてしまうので、「(とりあえず準備した)何がやりたいかというはっきりした目的意識」をプレゼンテーション/ディスカッションするスキルを磨く必要が出てくる。(ちなみに、プレゼンテーションではなく、プレゼンテーション/ディスカッションとしたのは、「どんな目的意識」を持っているかというプレゼンテーションよりも、そのプレゼンをきっかけに面接官との間でどんなやり取りがかわされるかというディスカッションが、より大きく人物評価に関わると考えられるからです。)

というわけで、首相の「目的意識をはっきり出すせ」というアドバイスは、競争率の激しい面接を切り抜けるためには適切なアドバイスであり、「持て」ではなく「出せ」と言ったところは、「しっかりやれよ」とだけ言う鳩山由紀夫幹事長よりも、「誠に的を射ている」のです。

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web2.0 (^O^)vで角田和司さんが、日本綜合地所で内定取り消しとなった学生に対して:

タダで働きます!と言えばよいだけ。給与をもらうため「だけ」に働きに行っているのではないのだから、本末転倒だ。実力があり誠意があれば、絶対に企業は給を出す。(※少し遅れるかもしれませんが)こういう「変わり者」が、将来の幹部候補生であり、企業の将来を左右する人材だ。だから、逆に日本総合地所は、こんな糞学生を採用しないで良かったと思う......
......どうしてこんな「糞」なんだ。大学エリート様とは、ここまで精神が壊れているのかと思う。面接の時は口先だけ。バレバレがわかるのが情けない。



と学生を貶め、”タダ働きを推奨する”独自の意見を披露して、議論を引き起こしている

しかし、少し”タダ働き”の解釈を拡大すれば、そんなことはだれでもやっているのです。内田樹先生がおっしゃるように、仕事をするということはつねにオーバーアチーブであり、与えられた報酬分だけ働くということはほとんどあり得ないのです。オーバーアチーブつまり、自分の金銭的報酬より多く働いた分が、組織の利益となり、また自分の非金銭的報酬(スキルアップ、人脈、人間的成長)となるのです。人は常にタダ働きしているのです。タダ働きの分が組織とそこで働く人の成長を支えているのです。

おそらく、今から社会に出ようとする学生さん達もたぶんそれはよくわかっているはずで、彼ら/彼女らにとって最も大切なのは給料自体ではなく、正社員としての職歴と、職業人としてのトレーニングとネットーワークの場としての職場のはずです。もし短期的には無給であるが正社員という選択があれば、他のアルバイトで生計をたてつつも”正社員としてタダ働き”をするひとがおそらくいたでしょう。しかし、現行の法律や慣習では会社もそんな例外的な対応はできないのでしょう。(若干状況が異なりますが、かっては私を含め多くの医者は最先端の医療が経験できる大学病院でトレーニングを受けるため、アルバイトで生計を立て、無給で数年過ごしました)

雑種路線でいこうでも述べられていますが、キャリアの先行投資はたいてい”タダ働き”なのです。内定取り消しにあった学生の多くが、正社員として採用されるなら先行投資と考え短期的には無給でもよいと考えるひとも少なくないはず。しかし、無給正社員という雇用の形態が法的に認められがたいということと、企業側が新人を育てるための先行投資をできないぐらい経済的に疲弊しているというのがやはり問題で、内定取り消しにあった学生を恫喝し貶めるweb2.0 (^O^)vの意見はやはり受け入れられないと思います。


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日本に帰国中に移動時間を利用してあらかじめ予定していた本3冊を計12時間ほどで一気に読みました。

#1. 日本語が亡びるときー英語の世紀の中で-(水村 美苗)(6時間)
#2. ベネディクトアンダーソン グローバリゼーションを語る(梅森直之)(4時間)
#3. 朗読者(ベルンハルト シュリンク)(2時間半)


「日本語が亡びるとき」は梅田望夫氏の「すべての日本人がいま読むべき本だと思う」に触発されて、「ベネディクトアンダーソン グローバリゼーションを語る」は文化系トークラジオライフのポドキャスとでの推薦で、「朗読者」はタイタニックの時から注目している女優ケイト・ウィンスレットの新作映画「The Reader」のトレーラーを見て原作が読みたくなったので....と、それぞれ独立した理由でたまたまこの3冊をつづけて読むことになったのですが、結果的に合わせて読むことにより、新しい意味を見いだすことができたように思います。

まず、「日本語が亡びるとき」は自分には教養がある、または教養をつけたいと思っているひとは”読むべき本だと思”います。学校で習う「国語」が、現在の"当用漢字仮名まじり、現代かなづかい"となった経緯についての記述は興味深く、是非知っておくべき歴史的経緯であると思います。

さて「日本語が亡びるとき」はその中で、ベネディクトアンダーソンの400ページ近い名著「想像の共同体」を、次のようにたった1文で要約しています。

国家は自然なものではない。


「想像の共同体」は「日本語が亡びるとき」のロジックを構成するための重要な下地になるため、このほかにも多くの解説/記述があり、これが、「ベネディクトアンダーソン グローバリゼーションを語る」を読む上で非常に役立ちます。「想像の共同体」をまだ読んでいない私のような読者には、「ベネディクトアンダーソン グローバリゼーションを語る」でのベネディクトアンダーソンの早稲田大での講演内容は非常にあまりにも難解です。後半の梅森の解説を読んでもまだ難しいと思います。しかし、事前に「日本語が亡びるとき」を読んでいたおかげで非常に理解を助けられました。

そして、最後の「朗読者」ですが、一般にそのテーマは「愛するひとの過去、”ナチス時代の犯罪をどうとらえるかという重い問題”」であると考えられているようですし、「日本語が亡びるとき」を事前に読まなければ私もそう感じていたでしょう。しかし、「日本語が亡びるとき」を読んだ後で「朗読者」を読んだ今、(「朗読者」のねたばれになるので詳しくプロットは言えないのですが)実は「叡智を伝えるべき<書き言葉>である<国語>が、戦争という喪失体験からの国民の自己再生に果たす需要な役割」こそが著者がこのプロットで言わんとする真のテーマではないかと強く感じています。

偶然とはいえ、全く別のきっかけでよんだ本の間に、このようなシナジーがあるのは非常に面白いと思います。

japanese horobiru


anderson global


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友人である城戸御夫妻のご紹介で、奈良の名門西大和学園高等学校で高校生の方を対象にお話をさせていただく機会が帰国中にありました。

「生徒さんが夢を持てるようなことや、励ましの言葉」を話すということを事前に使命として打診されました。しかし、(私の日本語力不足もあり)「がんばれ」という言葉以外に適切な励ましの「日本語」がうかんできませんでした。そこで、直接「励ます言葉を贈る」代わりに、5年後10年後に社会に出たときに役立つような考え方のフレームワークを、お話させていただきました。講演でもお話しましたが、大切なメッセージは”わかりやすく、直接的に”表現しなければならないというプレゼンテーションの大原則にも関わらず、得てしてそれは”間接的に行間から”学び取られるものなのです。タイトルは「社会人として自分を磨くための10の原則」。オーディエンスが行間から多いに学んでくれることを予測して、以前に大学院生や博士研究員の方を対象にした講演「研究者が仕事をする上で知っておくべき10の原則」をほぼそのままお話しました(10の原則の要旨はこちらをご覧ください)。講演の最中の反応や、講演後の活発な質問から察するに、私のオーディエンスのレベルの高さの予測は間違っていなかったと思っています。


PFD-2008-12-9講演のフォローアップですが、5年後10年後に役立つ本を紹介してほしいという質問がありましたので、ドラッカーの「プロフェッショナルの条件:いかに成果をあげ、成長するか」を推薦させていただきます。これはけっして経営の本ではありません。人生哲学の本です。個人が職業人として社会に出て、誇り高く生きるための”ぶれない指針”を教えてくれる本です。社会に出る直前や、社会に出てからも何冊ものビジネス書や自己啓発書を読む機会が多くあるでしょうが、それらに書かれているほぼすべてのことの原型がこの本に書かれていると言っても過言ではありません。理系文系を問わず、いかなる職業につくにしてもドラッカーの教える指針は必ず役に立ちます。高校生には最初は少し難しいかも知れませんが、読み返す程に新しい発見と理解に出会える本です。読み始めて挫折したり、挫折しそうになったときには「通勤立ち読みブックラリー2.0」の数分間のオーディオをダウンロード(無料)して”予習”してみてはいかがでしょうか。

素晴らしい機会を与えてくださいました城戸御夫妻、今村校長を始め西大和学園の熱い先生方、熱心に聴いてくださった生徒の皆さん、ありがとうございました。

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プロフィール

Motomu Shimaoka

Author:Motomu Shimaoka
島岡 要:三重大学医学部・分子病態学講座教授 10年余り麻酔科医として大学病院などに勤務後, ボストンへ研究留学し、ハーバード大学医学部・准教授としてラボ運営に奮闘する. 2011年に帰国、大阪府立成人病センター麻酔科・副部長をつとめ、臨床麻酔のできる基礎医学研究者を自称する. 専門は免疫学・細胞接着. また研究者のキャリアやスキルに関する著書に「プロフェッショナル根性・研究者の仕事術」「ハーバードでも通用した研究者の英語術」(羊土社)がある. (Photo: Liza Green@Harvard Focus)

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