高校英語、英語で教えるべし(朝日新聞):
文部科学省は22日、13年度の新入生から実施する高校の学習指導要領の改訂案を発表した。「英語の授業は英語で行うのが基本」と明記し.....改訂案は「授業は英語で」を初めてうたった。長年の批判を踏まえ「使える英語」の習得を目指すという。
日本人は読み書きはできるが、話せないのか?『高校英語を教師が英語で教える」ことは、「使える英語」の習得の戦略としてはあまり効果的ではないのではないでしょうか。文部科学省は「日本人の英語の問題は、読み書きはある程度できるが、口頭での英語コミュニケーション(=”使える英語”)が不得意なので慣れる必要がある」と考えているのでしょうが、現状では「読み書きの能力」さえもそれほど高いとは思えません。もちろん多くの例外はあるでしょうが、日本人の英語のEメールを見れば、大学で高等教育を終了した人の英語の「読み書きの能力」のおおよそがわかります。
21世紀の”使える英語”とは英会話のこと?もう一つ考えなければならないことが、”使える英語”というものがインターネットの発達とともに”口頭での英語コミュニケーション”一辺倒から、Eメールでの英語コミュニケーションとそれに必要な「読み書きの能力」へと変化してきたことです。”口頭での英語コミュニケーション”はいつの時代にも重要なことにはかわりありませんが、これからは今まで以上に英語でEメールのやり取りができる能力が重要になります。
『高校英語を教師が英語で教える」ことが、最良の方法?”口頭での英語コミュニケーション”のプライオリティーは少し下がったといえ、依然としてして重要です。しかし『高校英語を教師が英語で教える」ことが、最良の方法でしょうか。個人的な経験からいえば、英語コミュニケーションで最初に挫折感を覚えるのが、ネイティブの喋る英語が(マンツーマンであれ、ラジオ英会話であれ)ほとんど理解できない時です。これを克服するために、耳をならすと称してラジオ英会話を毎日15分間何年も聴いたりしますが、実際の会話になるとまたほとんどわからず、より深い挫折感を味わいます。この繰り返しが英語の苦手意識を刷り込んでしまいます。ですから、英語教師が日本人であれ、ネイティブであれ、”耳をならして英語の話し言葉がわかるように訓練する”という戦略を取る限り、その過程で多くの人は挫折してしまうでしょう。
コミュニケーションのクラスでは’英語のできないひとを教師に!”英語がわかるようになるまで耳をならす”という途方もなく長く、教室で学ぶには効率の悪いスッテプで挫折しないようにするためには、そのステップをなくしてしまうのも一つの方法です。英語が話せるようになるためには、英語を聴いていてもしかたがないのです。話さなくてはならないのです。
以前のエントリーで書いたように、留学したときに英語が短期間で話せるようになる方法は、ネイティブとより多く話すことではなく(英語が話せないときほど、聞き役に回ってしまうので)、自分より英語の話せない人を見つけて、とにかく自分の思い(世間話、自己紹介、質問、愚痴、仕事のことなど何でもよい)を”壊れた英語”でひたすら話すことです。(”壊れた英語”は今や普遍語=”使える英語”の地位を、少なくともサイエンスの世界では得つつあります:福岡伸一著「できそこないの男たち」にも、そんなエピソードが出てきます)
高校英語コミュニケーションのクラス(案?)高校の英語コニュニケーションの時間は、生徒が今まで学んだ英語を駆使して、”壊れた英語”を交えながら先生に向けてひたすら話しかける。先生は常に聞き役に回る。内容に関する質問を日本語でしてもよいが、英語で質問したり、文法などを訂正したりはしない。ひたすら生徒に話してもらう。英語表現や文法ではなく、話さんとする内容や熱意(ボディーランゲージ)を評価する(もし評価する必要があれば)。(”英語Eメールのクラス”では英文法と表現を、英語のできる先生からみっちり教わってください)。
生徒が英語が話せない(話さない)のは、その必要がない、つまり聞き手がいないからです。聞き手を作れば、話さなくてはいられなくなる。必要なのは上手な聞き手をつくり、生徒が怖がらずに話すニーズを持ち込むことです。