読売新聞の人生案内より:
20歳代後半の家事手伝いの女性の質問
「私は幼いころから本が好き。人間に興味があり、考え、分析することも大好きです。小説家になりたいと思っています。ただ、今のところ、これといった行動を起こしてはいません。図書館の本を読むくらいです.....(小説家になるためには)これから、何をすればいいのでしょうか。その道の専門家の方にご指導いただけたらと思います。」
これに対して作家・出久根 達郎氏は;
「.....職業として選ぶのは狭き門ですから、おやめになった方が賢明です.....小説家になるための心得は、別にありません.....」
と素っ気なく淡々と答えています。この女性の質問内容から感じられる情熱や覚悟のレベルから考えれば、職業としての小説家を薦めないのが妥当な回答だと思います。
この方の質問は進路に関する質問の悪い例の一つであると思います。では進路に関する良い質問とはなんでしょうか。それは質問を聞けば、そのひとが背中を押してほしいのか、止めてほしいのか自然に相手に伝わってしまうまでよく練られた質問だと思います。質問をした時点でほぼ意思は決まっているのです。質問者が回答者に求めているのは、その意思の確認にすぎません。質問するという行動に至る過程でひたすら考えを整理し、結論のすぐそばまで自力で接近するというプロセスが大切なのです。そして、最後の一押しに少しだけ人の力を借りたいのです。
ですから、この質問のように「何をすればいいのでしょうか」と聞かれれば(もちろん、新聞の人生相談のような書面では無理ですが)、あなたはどう思うのかと問い返し、ひたすら本人の考える過程を助けるという態度に徹するのが人生相談回答者の正しいアプローチではないかと私は考えます。(実際には説教になったり、自分の人生自慢や苦労自慢になることもありますが.....)