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ボストンで13年働いた研究者が、アカデミック・キャリアパスで切磋琢磨する方法を発信することをめざします。
東京で若手の研究者の人たちと”研究者としての心得え”、とくに何を若いときにしておくべきことかという話題に花が咲きました。若いうちにすべきことの一つに「視野を広げること」があがりました。「若いうちは自分の専門分野以外にも幅広く興味を持つベきだ」は、おやじの説教としては常套句ですが...

ではどうしたら視野が広まるのでしょうか。(ここでは、「視野を広げる」ということを狭義に自分の専門分野以外の科学の最新知見もフォローすると定義してみます。) わたしが即興で提案したことが、ラボや周りの仲間に「何かおもしろい最近の論文知らない?」と毎日必ず訊いてみることを習慣とするでした。これには2重の効果があると考えられます。

1)人の頭を使って視野を広めることができる。
自分一人だとついつい好みの論文が偏りがちですし、Pubmedの検索も同じようなキーワードを使いがちです。人が選んだ情報はもちろん玉石混合ですが、ミニ”Wisdom of Crowds”で結構信頼できる重要な情報も含まれているはずです。

2)人に聞く以上自分も発信しなくてはならなくなる
じつはこちらの方がより大切だと思うのですが、ひとに「何かおもしろいことない?」と訊くからには、自分がおもしろいと思うトピックも提供しなくてはなりません。情報というものはギブ&テイクであり、発信している所に集まってくるものです。また、「何かおもしろいこと」を人に提供しなくてはならないというプレッシャーは自ずと情報収集にかける真剣味をあげて、論文を読む態度もアップグレードされるはずです。

インプットはアウトプットを前提とする:つまり、人に教えてあげるようなおもしろい論文やトークをいつも探すために、ジャーナルを読み、学会に参加するというアクティブな情報収集の態度。アウトプットを週1回や月一回のジャーナルクラブなどのオフィシャルな仕掛としてでなく、休憩時間にコーヒーを飲みながら毎日できるアカデミックな雰囲気をつくりたいものです。

じつは、アメリカではこれに近いことを実践していました。というのも英語を母国語としない外人部隊の間では英語で世間話をするのが結構難しいのです(サイエンス以外の分野でのボキャブラリーがあまり豊富でないため)。結局サイエンスの話をするのが最もスムーズで、ランチの話題はほとんど論文や実験の話をしていた記憶があります。



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テーマ:スキルアップ - ジャンル:就職・お仕事

研究として独立する直前の重要なトレーニングのプロセスがポスドクです。米国ではファカルティーの条件として数年のポスドクの経験を必須としているところがほとんどであり、このプロセスが研究者のキャリア形成に非常に重要であると認識されていることがわかると思います。

もちろんポスドクの間に学ぶべきことはたくさんありますが、大局でみれば「明日から独立して、ラボというチームを率いる能力をもった自分」に向けての学びのプロセスと見なすことができます。しかし、現実にネックとなるのは「人を使うことは、実際に自分の責任で人を使うことでしか学べない」ということです。シニアポスドクの間に”中間管理職”として学生やテクニシャン、新人ポスドクを指導する経験は当然役にはたちますが、「自分の最終責任でひとを使う」ということとはかなり状況が異なります。

では、人を使うという経験をする前に学べる/学ぶべきこととは何でしょう。私はそれは「人に上手く使われること」であると思います。ある時期はひたすらボスに上手く使われる存在になることを目指し、その中から人を使うための下準備を学ぶことが実際的で建設的なアプローチであると考えます。また、ボスから”こいつは使える人材である”と認識されることはプロモーションやファカルティーのジョブオポチュニティーにつながり、独立することへとつながっていきます。

哀川翔の書いた「使われる極意-すべては、呼ばれるために」という本のタイトルから連想されるように(私はまだ読んでいませんが)、プロフェッショナル職業人として自分の専門性を深めていくためには、自分の好きなことや得意なことを追求していくこと平行して、まずボスやコミュニティーから上手く使われる存在になるという視点をもつ必要があるでしょう。

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自分の研究内容や様々な科学に関するトピックを人に説明するときに、何度説明してもよくわかってもらえないことはよくあります。表現を変え、専門用語をなるべく平易な言葉に言い換え、紙にイラストを描き説明してもわかってもらえず、徐々に気まずい雰囲気になることもしばしばあります。子供に教えるようなあまりにも平易すぎる表現を多様するあまり、相手がバカにされたと感じて、怒り出すようなことも時にはあるのではないでしょうか。相手にわかってもらおうと言葉を費やせば費やすほど、どんどん溝は深まるばかり。テレホン・ショッピングのアルバイトオペレーターからコールセンター長に抜擢された水野緑氏も「山田ズーニーのおとなの進路相談室。」で、お客様に説明すればするほど相互理解から遠ざかる経験をポドキャストで話していました。

「説明の量は理解の質に正比例するとは限らない。むしろ反比例することがしばしばある。」説明が長くなり、相手につたわらなくなる理由のひとつが、説明が得てして自分に向けられるということです。自信がないときほどapologetic (自己弁護的)になり、本質とはほど遠い他人はだれも気にしないような些細なことの正当性に多くの言葉と時間を費やしてしまいます。

このダウンワード・スパイラルから逃れる一つの方法が相手に質問させることです。ゴールを「目的を相手に”私が知っていること”を何とか理解してもらう」から一歩ひいて、「”お互いが何をわかっていないか”を見つけ出す」にシフトしてみるのはどうでしょうか。”正しい質問をしたときには、答えはすでに明らである”とはきっと真でしょう。

これと関連して私が心がけようとしていることが、「本当に怒った時には絶対にしゃべらない」ということです。感情が高ぶり興奮している時に余計なことを話して(売り言葉に買い言葉)相手を傷つけてしまい、後々問題となることを避けるためにも(怒っているというパフォーマンスが必要な時は別にして*)しゃべらないのが賢明です。

(*)これもapologeticな、余計な説明の一例かもしれません...




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自分の専門的な研究を一般の聴衆にプレゼンテーションするのは簡単ではありません。あまりにテクニカルに詳細であっても理解してもらえないし、話のレベルを落としすぎても研究の核となるメッセージが伝わらなでしょう。この困難なミッションを5分で行えと言われたら何に気をつけなければならないでしょうか。わたしは次の3つが肝だと思います:

1)Relate: まず自分の研究をだれもが知っていて興味を持つようなことに「関連」づける。イントロで聴衆を失わないためにはこれが大事でしょう。

2)Story:詳細な実験手法の説明などは一般には避けたほうが無難と考えられがちですが、むしろ実験手技の(詳細でなく)概要の説明のほうが退屈な場合が多いのではないでしょうか。逆に、超具体的な実験手法(どの試薬をどこから取り寄せて、何度で培養したなど)を生き生きと小さな「物語」として語ったほうが、聴衆の記憶に残るでしょう。

3)Context:「それで、いったいあなたの基礎研究は何の役に立つの?」基礎研究者の中には、自分の仕事は基礎研究であって「何の役に立つか」の質問には興味のないひともいるでしょう。しかし、世の中の大部分の人には「何の役に立つか」が最も重要な判断基準であり、もしあなたが政府からのグラントで研究をしているのなら、世間の納税者の方々は「何の役に立つか」と聞く権利は少なくとも持っていると理解しなければなりません。

一般聴衆への5分間プレゼンテーションの一例として、カリフォルニア工科大のPaul RothemundTEDでのトークをご覧下さい。彼は最もクリエイティブな芸術家・科学者に贈られるMacArthurグラントの受賞者であり、2006年にNatureに発表したDNAを用いたナノテクノロジーについての研究を「relate」・「story」・「context」と見事に5分で語りきっています。





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Nature誌 (November 1, 2007)のエッセイ「謙虚さという技術(Technologies of humility)」より:

現代で最も奇妙なことは、確実な答え(certainty)を得ることができるとみんなが本気で考えていることだ。その結果、確実な答えがわからないという状態(uncertainty)は脅威であり、知識をもってして治療すべき病とみなされる。
The great mystery of modernity is that we think of certainty as an attainable state. Uncertainty has become the threat to collective action, the disease that knowledge must cure.....


このエッセイでは、科学的データに基づいて何か実際の行動を起こす場合(とくに政治的判断)、あまりに科学的データの”certainty”にこだわるあまり、有効なDecision-makingができなくなる危険性を指摘しています。典型的な例が、地球温暖化問題であり、温暖化を100%のcertaintyで予測することは不可能であり、行動が遅れれば甚大な被害をもたらす可能性が(100%でないにせよ)ある状況下で、uncertaintyを楯に取り有効な政治的判断がなされないという事態が米国では長く続いてしまいました。

Real Lifeは非常に複雑です。科学&技術の発展によりますます複雑になっています。もしくは、もともと複雑であったのが、科学&技術の発展によりその複雑でをますます実感しているという側面もあるでしょう。複雑さゆえに現代では政治家も含め多くのひとはたとえ幻想であっても「白黒はっきりした」”certainty”や”simplicity”に惹かれ、大きく影響を受けると考えられます。

これはマーケティングやさらには科学論文においても「クリアなスートリー性」が重要視されることとも関係しているように思います。少しでも複雑でわかりにくいものは極端に敬遠され、忌み嫌われる傾向にあります。「白黒はっきりしていること」や「これって一言で言えばXXX」のように戦略的に”certainty”のふりをすることがコミュニケーション術として現代では有効であることは間違いありません。

しかしこのエッセイでは、現代人が”certainty”という幻想にとりつかれるあまり、重要なDecision-makingに支障をきたす危険性に警鐘を鳴らしています。科学が発展すればするほど、科学的なデータや科学的根拠の信頼性にますます依存し、さらなる科学的根拠の発見に奔走し、倫理的に有効なDecision-makingが遅れることに警鐘を鳴らしています。そして、科学的根拠の”certainty”の限界を受け入れる「謙虚さというテクノロジー(Technologies of humility)」を提唱しています。これは現代科学でもすべてがわかる訳でないこと(”uncertainty & partiality”)を”謙虚”に受け入れ、たとえ”uncertainty & partiality”があっても倫理的基準に則り問題を解決していくという戦略・スキルです。

もちろん、科学研究とデータの信頼性を上げる努力と「Technologies of humility」とのバランスが重要ですが(「純粋な科学的思考」と「倫理的思考」のバランスともいえるでしょう。)、科学者と政治家の両方が”謙虚さという技術”を意識する(または、学び直す)必要があるのではないでしょうか。

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プロフィール

Motomu Shimaoka

Author:Motomu Shimaoka
島岡 要:三重大学医学部・分子病態学講座教授 10年余り麻酔科医として大学病院などに勤務後, ボストンへ研究留学し、ハーバード大学医学部・准教授としてラボ運営に奮闘する. 2011年に帰国、大阪府立成人病センター麻酔科・副部長をつとめ、臨床麻酔のできる基礎医学研究者を自称する. 専門は免疫学・細胞接着. また研究者のキャリアやスキルに関する著書に「プロフェッショナル根性・研究者の仕事術」「ハーバードでも通用した研究者の英語術」(羊土社)がある. (Photo: Liza Green@Harvard Focus)

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