パオロマッツアリーノ著「つっこみ力」は家政法経学院大学(カセイホウケイ ガクインダイガク)での講演録という若干ふざけた形態をとっているが、メディアリテラシーやサイエンスコニュニケーションに関する非常に鋭い批判(つっこみ)であります。
ディベートなんてのを中高生にやらせている学校もありますけれど、あれもどうかなと思うんですよね。ディベートってのは、お互いが公平な立場で、同じ土俵に立って議論するというルールを設定しているから、理論力を使ったある種のゲームとして成り立つんであって、ありゃ、ファンタジーなんです。魔法の呪文がハリーポッターの小説の中でしか効果がないように、議論もディベート大会の会場でしか役に立ちません。実社会では公平な立場で議論をする機会などないぞ、と釘をさしておかないと、オトナになってから痛い目に遭うのは生徒のほうです。
ディベートがファンタジーにすぎないという意見は、そんな事は百も承知だというかたもいらっしゃるでしょうが、私は米国で研究者としてやっていく中では、正論でディベートすることの力強さを思い知らされる多くの機会を経験してきました。(サイエンスは実社会ではなく、それ自体ファンタジーだと言われればそれまでですが...)研究者は正論でディベートする能力を高めるトレーニングは絶対に必要だと思います。論文やグラントでは大まじめに正論を書かないと相手のこころには響きません。NIHは研究費を「人類の健康の増進に広義で貢献する臨床および基礎研究」に配分しています。全く照れる事なく自分の基礎研究が将来病気の治療や予防に役立つと書かないと高い評価を得ることは難しいでしょう。その意味で、正論は最も安全なアプローチであるとも考えられます。安心感があるため、力強いと感じるのでしょう。
....周囲の人から「あの人、いつも正論ばかりいってて、つまんないよね」と烙印を押されてしまった日にゃあ、いたたまれないじゃないですか。いままでにないものといえば、さっき笑いの説明のときにいいましたけど、ユーモアでなくギャグでしたね。つまり創造力は、ギャグをいう能力、ぼけの能力です。社会が本当に求めているのはぼけ力のほうなんです。
しかしながら、正論は安全であるが(またはそれゆえ)創造性とは相容れないものなのかもしれません。リクスをとらない限り創造的な仕事はできないと理解できます。ユーモアとは従来の正論の枠をはみ出さない範囲での研究であり、ギャグとは従来の考えをひっくり返すようなインパクトのあるブレークスルーに相当するのだと思います。(研究者は創造性のヒントをお笑いから学べると言うN先生の言葉を思い出しました。)
凡人や秀才は、自分一人の力でヒーローになろうとしてはいけません。つっこみ力使って、ボケの盛り立て役に徹すればいいのです。そうすれば、結果的に自分にもスポットライトがあたるんですから。
天才、異才、奇才がぼけ力で新たな価値を生み出し、秀才や凡才はつっこみ力でそれを盛り上げ、価値を高めていく。これで社会をおもしろくしていこうではありませんか。
時としてあまりにも独創的で斬新な仕事(ボケ)は正しく理解されません。それを社会が理解でき、利用できるようなかたちに落とし込むことが研究者のつっこみ力でしょうか。