アカデミックな研究者は好きなことを追求する贅沢を許された職業であるとか、研究者とは本当に好きなことを追求しなければならない(それをしなくなったら本当の研究者とはいえない)というレトリックを日本で大学院生をしていたときに先輩方から教えていただいた。
「好きなことを(仕事として)する」という言葉にはポジティブに人のこの心に共感する
ちからがある反面、同時にネガティブなニュアンス(そんなことは実際には無理)も惹起する。
実際に、梅田氏のストレートなメッセージ:
直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。
は非常に多くの反響を呼んだ。
そこで、研究者にとっての「好きなことをする」を解剖してみると、大きく2つのエレメントに分けることができると思う。
1)そのテーマ自身(または方法論)が好き。これは狭義での「研究者とは本当に好きなことを追求しなければならない」の「好き」に当たる。極論をいえば、そのテーマがどれほど困難であっても、またどれほど競争が激しくとも、また逆に世間が(レビューアー)がそのテーマはどれほど陳腐であると批判しようが、あなたはそのテーマが(そのテーマについて考えることが、そのテーマに関する実験をすることが)好きでたまらない。
2)あるテーマで優れたパフォーマンスを発揮している自分が好き。これは非常に戦略的な考えで、テーマや方法は問わず、優れた論文を生産し世間(サイエンス・コミュニティー)に大きなインパクトを与えることで達成の喜び「好き」を体感する。基本的的には大きなインパクトは多くの研究費や良いアカデミックポストにつながる。この場合テーマは世間が十分に重要であると認識している(または近い将来認識する)ものでなくてはならないが、困難さと競争の程度は自分が
Dipをこえてトップになれるほどのレベル(高すぎない)でなくてはならない。
2の亜型として「普遍」に迫るために最も効率のよいテーマ「一つの特殊」を選び、「特殊」という入り口から
ついには「普遍」まで突き進むという戦略もあるであろう。
アカデミアの研究者は「好きな仕事」を選べる自由度は基本的には非常に高い。しかし、研究費やポストの争奪競争がますます激しくなる中では(1)の好きを貫く贅沢はなかなか許されない。しかし、「好き」をもう少し大きくとらえ、(1)と(2)がほどよくブレンドしたどこかの中間点「少しくらい(1)の好きを曲げても、(2)の好きを大事にしたい」に落ち着かすことができれば、好きなことを追求する贅沢を十分に味わえるのではないか。
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