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ボストンで13年働いた研究者が、アカデミック・キャリアパスで切磋琢磨する方法を発信することをめざします。
2009年は米国でも日本でも科学研究費というものをより強く意識した1年であったと思います。そして今、鈴木光司の「ループ」の一節を思い出しています。

「ループ」は私の中では日本のSFベスト5に入る傑作です。「ループ」(98年)は大ヒットホラー小説「リング」(91年)と「らせん」(95年)の続編ととらえることもできますが、「リング」「らせん」をモチーフにした独立したSF小説と考えた方がより適切でしょう。ストーリーは「リング」「らせん」での怪奇現象が実は”ループ”というコードネームの生命をシュミレーションする壮大なプロジェクトに起きたバグから始まったというものです。

クライマックス近くで主人公の馨は”ループ”プロジェクトの指揮者エリオット博士と対峙します。そこでの二人の会話は10年以上前に書かれたにも関わらず今日の研究者に多くの示唆を与えてくれます。

エリオット:「ところで、世界が何で動いているか、君は知っているかね」

馨:「現実の世界ですか、それともループ」

エリオット:「現実もループもその点はうまく重なっている。両方とも同じ原理で動く。 いいかね、世界を動かすものは、予算だ

.........科学は、社会情勢を無視してやみくもに一直線に進歩するのではなく、そのときどきの事情に応じ、向かうべき方向をかえてゆく。そして、予算はそのときどきの社会事情や国家間の思惑、、、要するに人々がまず第一に何を望んでいるかという最優先事項によって決定されることが多い。70年前、来るべき未来図を描く中でメイン舞台とされたのは、広大な宇宙であった。火星や月はまるで人間の植民地のように扱われ、惑星と惑星はスペースシャトルの定期便で結ばれている。だれもがそんな未来をイメージし、映画や小説の題材として扱われた。

だが、それから現在まで、火星どころか月にさえ、人間が運ばれることはなかった。人類が月に到達したのは、あの輝かしい一瞬だけである。それ以降宇宙計画は牛歩の歩みに徹し、牛のごとき眠りについていしまった。その理由はひとつ。ーーーーー予算がつかなかったから。

------鈴木光司「ループ」-------



米国の大学では基本的にすべての研究や教育はプロジェクトとして行われています。原理的にはプロジェクトの予算を獲得し続けることができれば、リーダーやスタッフにも定年や任期はなく、精神力と体力の続くかぎり、その活動を続けることができます。しかし、予算がつかなければ.....

プロジェクトを指揮する立場になって最も強く感じたことは、プロジェクトをプライマリーに動かしているのは”アイデア”と”熱意”つまり”人”です。そしてアイデアと情熱をもった人を雇うためには予算が必要だということです。





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科学・医学雑誌ネイチャー・メディシン(Nature Medicine)12月号の「数字でふり返る2009年(2009 by the numbers)」は

20億本、40%、30%........

20億
―WHOが95の低所得国に供給したインフルエンザ(H1N1 'swine flu')ワクチンの数

40%
―米国で子供にインフルエンザ・ワクチン接種を望む親の割合

33%
―そのうち実際にワクチン接種を受けられた親の割合
.......



というふうにインフルエンザに関する長い統計のリストで始まります。

そして、後半にはこんな統計がでてきます。

10万ドル、6%、3%

10万ドル
―ビル・ゲイツ率いるビル&メリンダ・ゲイツ財団(Bill & Melinda Gates Foundation)のチャレンジ・グラント(Grand Challenges Explorations grant)の受賞者が一人あたり受け取る研究費の額

6%
―チャレンジ・グラント受賞者のうち大学院生とポスドクの占める割合

3%
―チャレンジ・グラント受賞者のうち教授の割合




ゲイツ財団のグランドチャレンジ・グラントは”すべてに開かれて(open to anyone)”おり、

The grant program is open to anyone from any discipline, from student to tenured professor, and from any organization – colleges and universities, government laboratories, research institutions, non-profit organizations and for-profit companies.



従来の政府からの研究費がとくに重要視する1)今までにどれだけの業績があるか、2)研究を遂行するためにどんな環境とインフラを持つかなどという、”教授クラスにはあるがポスドクや学生には乏しいリソース”をカウントしません。また申請書も2ページと短く(NIHグラントは12~25ページ)、勝負はアイデアがいかにイノベーティブであるかにかかってきます。

レビュー(審査)のルールを少し変えれば、ポスドク・学生のグラント・プロポーサルが、教授クラスの研究者のプロポーサルも優れていると評価されるということなのです。



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ニューヨーク・タイムズのサイエンス・コラム「ドット・アース」の11/28の記事「Innovation Report Card(イノベーションの通知表」という記事で、欧州諸国によるThe Innovation for Development Reportが、世界各国の”イノベーションを起こしうる総合力(Innovation Capacity Index: ICI) を評価したところ、世界の”一流国”と見なされる27国(収入や政治形態から判断して)の中での総合ランクは、1位スウェーデン、2位フィンランド、3位米国であったそうです。ちなみに日本は13位。”(131カ国全体では1位スウェーデン、2位フィンランド、3位米国、で日本は15位)

イノベーション力”をベンチマーキングした同様の試みに、米国によるInnovation Indexがありますが、米国以外の国が作製したものであるということと、経済・社会のルール等により焦点を当てたことが、Innovation Capacity Indexのユニークな点であると考えられます。

ICIは次の5つの大きな項目のパフォーマンスを総合的に評価し点数化したものです(詳細はこちら

1.Institutional Environment(政治・経済のルールがイノベーションをサポートしやすいか)
2.Human Capital, Training, Social Inclusion(教育のレベル・女性の社会参加等)
3.Regulatory and Legal Framework(スタートアップを企業しやすいビジネス環境か)
4.Research and Development(研究のアウトプット、インフラ、パテント等/単位あたり)
5.Adoption and Use of Information and Communication Technologies(ITのインフラ、一般家庭、政府・公共サービスのIT普及度)


それぞれのカテゴリーでの順位を見てみると:
1.Institutional Environmentでは、日本(35位)、スウェーデン(6位)、フィンランド(6位)、米国(22位)

2.Human Capital, Training, Social Inclusionでは、日本(29位)、スウェーデン(4位)、フィンランド(3位)、米国(17位)

3.Regulatory and Legal Frameworkでは、日本(17位)、スウェーデン(11位)、フィンランド(19位)、米国(5位)

4.Research and Developmentでは、日本(4位)、スウェーデン(2位)、フィンランド(3位)、米国(5位)

5.Adoption and Use of Information and Communication Technologiesでは、日本(22位)、スウェーデン(2位)、フィンランド(7位)、米国(9位)

日本はResearch and Developmentではトップクラスですが、他のカテゴリーでは2流のようです。


科学研究費に対するインパクト:
この結果をもとにして、科学研究費について考えてみます。ICIの結果の一つの解釈としては、総合的に見て日本のイノベーションを起こす力は、グローバルなレベルでは2流にランクされてしまいます。しかしその2流の位置でさえなんとか維持できているのは、Research and Developmentでの米国を総合的に上回る日本の一流のパフォーマンスのおかげであるとも考えられます。これは日本の研究者と研究に関連した仕事に就いている人が誇りにすべき素晴らしい業績だと思います。米国にくらべ日本の研究環境が劣っていると信じられていますが、おそらく非常な個人の努力もあって、日本の研究者は非常によくパフォーマンスしているのです。しかし、これは決して科学研究を減らしても大丈夫だということにはなりません。以下の3つの理由により、むしろ逆なのです。

1)Research and Developmentの最も重要なリソースである人的資源はいったん枯渇してししまうと、その回復に途方もない時間がかかるフラジャイルなものである
2)弱み(他のカテゴリー)をある程度克服することも必要であるが、強み(Research and Development)にさらなるリソースを注入するStrengths-based approachが競争力を高めるのにはより適している
3)イノベーションこそが社会に価値・付加価値をもたらし、雇用を生み出し、中長期的に貧困を減らし、社会を豊かにするものである

科学研究費を今削減することが、中・長期的に国家の競争力と次の世代の生活の豊かさにどれだけネガティブなインパクトをもつかという中・長期的な視点こそが、科学政策の争点の中心になるべきであると私は考えます。


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研究者が自分の研究成果を世に問うときに最も恐れるものとはなんでしょうか。まず最初に思いつくのがレジェクションでしょう。自分の仕事のクオリティーや、時にはその存在価値に対する辛辣なネガティブコメントほどショックものはないでしょう。投稿した論文が大きなネガティブコメントなく、無事アクセプトされた時にはほっとするものです。確かに短期的には世間やコミュニティーのネガティブな反応が最も恐れることで、大過なくやり過ごすことで良しとすることもあるでしょう。

しかし、長期的に見て最も恐れるべきことは”全く反応がないこと”なのです。ネガティブなコメントをくれたレビュアーは少なくとも自分の仕事を貴重な時間を割いて読み・考え・コメントを書いてくれているのです。短期的には破壊的に思えるネガティブインパクがあったとしても、反応があるかぎりそこには成長のカギがあるのです。

例えばプレゼンテーションのリハーサルで問題点や短所を指摘しなければならないときには、「短所:areas of weakness」を「areas for improvement」や 「opportunities for improvement」と、相手に破壊的なネガティブインパクトを与えないように”政治的に正しく”言うように私はこころがけています。

これとは対照的に、無反応というのは短期的には大きな痛みを伴いませんが、長期的には”ゆでカエル”のように緩慢な死を意味することさえある病理であり、研究者だけでなく芸術家やビジネスパーソンなど”価値あるもの”を造り出すことを職業とするもの、また表現や発信することを目指すものが、真に恐れるべきものだと考えています。

今回「やるべきことが見えてくる研究者の仕事術」を出版させて頂いたときにも、やはり最も気になったことは読者の方々からの反応が全くないかもしてれないということでした。たとえネガティブなものであれ本を読んで反応していただければ、それで十分であるという思いがありました。幸いなことに現在まではネットと編集者さんをとおして知る限り、おおむね反応はポジティブであると感じています。また、たとえネガティブなコメントであれ貴重なお金で本を購入し、貴重な時間を割いて本を読み、コメント書いて頂いた方にも感謝しております。

そして、「藤野の散文-菊の花、開く」の藤野氏のように、

自分が「これ」と思った本と出会うと「徹底的にそれと向き合い、咀嚼し尽くす」というのは年に何度もないことだが、とても重要な行為だと今回気づく。



何回も読み返していただき、「研究者の仕事術、の活かし方」という連作で、新たな”価値”を生み出されている方もあらわれ、驚きと喜びを感じております。これは「研究者の仕事術」の前身である実験医学での連載「プロフェッショナル根性論」を書き始めた時には考えもしなかった広がりであります。

関連エントリー:「ビジネスパーソンが語る「研究者の仕事術」の活かし方



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オバマ大統領のアメリカの経済刺激対策のための大型予算The American Recovery and Reinvestment Act of 2009 (Recovery Act) の一環として、NIHはブッシュの時代には停滞していた医学研究の分野に2009年には大幅な投資を行いました。その目玉の1つが”オバマのチャレンジ・グラント”と呼ばれるNIH Challenge Grants in Health and Science Research、またはコードネームRC1グラントです。3月にアナウンスアナウンスされたときには総額約1億円のグラントを200件程度といわれていましたが、2万件以上の応募があり近年まれに見るきわめて厳しい競争になりました。締め切りの4月27日には電子投稿のシステムがパンクしてしまうほどに混雑し、2万件のグラントを審査する人材は米国内だけでは足りず、NIHは欧州各国から審査員をリクルートしたようです。

通常のグラントR01では上位15~25%程度につければ、研究費が獲得できるのですが、RC1の場合には単純計算すれば成功率は1%以下になってしまいます。審査のスコアは7月末には応募者には伝えられたので、自分が上位何%に位置するかはわかるのですが、どのレベルで切られるのか(ペイ・ラインpaylineと呼ばれる)はRC1の場合には前例がないため楽観論や悲観論などかなりの憶測がながれました。例えばあるブログのコメント欄では不安を抱えた米国研究者が250以上のコメントでペイ・ラインについて意見を交換し、本当に200件なのか、もう少し多くなるのかなどさまざまな噂が流れました。

ペイ・ラインにつてはNIHは8月中は沈黙を守りましたが、8月末には新しいNIHディレクターFrancis Collinsが就任の演説で、約600件程度になるという可能性をほのめかしました。しかし9月になりまた沈黙が続きました。NIHの年度予算が9月末日で終わるため、9月の最後の週に急速な動きがあると噂されていました。

その噂のとおり9月の終わりになってNIHから2度電話がかかってきました。ひとつ目は明日までにある書類を提出せよというもので、2つ目は1時間以内に別の書類をファックスせよというものでした。いずれにせよNIHから電話があるのはよいサインなので、他の仕事を一時的にすべて中止して書類の作製に集中しました。そして9月29日にチャレンジ・グラント受賞のオフィシャルな知らせを受け取りました。NIHのデータベースによると全米で800余りのチャレンジ・グラントが授与されたようです。そして、翌9月30日オバマ大統領がNIHを訪れチャレンジ・グラント他Recovery Actからのグラント受賞者に対する期待と、NIHスタッフの努力を讃えるスピーチを行い、予算獲得競争の戦いの第一幕は終わりました。




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学校で先生が生徒を評する時も米国では「Excellent、Great、Perfect!」の連発である。ゴルフ練習場でもお父さんが小学生の息子にクラブを振らせて、ちょっとでもボールが前に転がれば、「Excellent、Great、Perfect!」を連発していた。日本人だったら上手に出来ても「よく出来た。(Well done.)」でおしまいだ。

ワシントン情報、裏Version、竹中正治:日米比較文化論編:「危機感」の島国、「希望」の大陸 via モジックス Zopeジャンキー日記アメリカ人は「希望駆動型」、日本人は「危機感駆動型」



米国では(特に公の場では)ネガティブな表現は極力避ける傾向にあります。日本人の私は、褒められているとか、高く評価されていると一見感じることが多く、気分がいいこともあるのですが、時には自分に対する評価を冷静に考えなければなりません。Very goodってどれくらいいいのでしょうか。米国の科学研究費の審査を例にあげますと......

米国政府(NIH)の科学研究費の審査は(決して完璧ではありませんが)おそらく世界で最もシステマティックで、最も厳密な制度です。申請書は通常3人のレフリーによる予備審査の後、20人程度の委員会で検討され、最終的にメンバー全員の投票の平均により最高100点から最低500点のプライオリティー・スコアで評価され順位がつきます。このプライオティー・スコアの意味するところは

* 100-150: Outstanding
* 151-200: Excellent
* 201-250: Very Good
* 251-350: Good
* 351-500: Acceptable

政府の科学研究費の伸びが鈍り、競争が激化している現在ではR01と呼ばれるスタンダードなグラントはOutstandingと評価されないとまず採択されないでしょう。151に近いExcellentならまだ可能性ありますが、Very Goodでは望みはありません。

米国の大学での人物評価にもよく似たスケールが使われること多く、ファカルティーや研究員をインタビューして人物評価を頼まれることがありますが、どの形容詞を使うか注意が必要です。本当にその人が雇ってもいいと思うくらいに優れているのならば、「Exceptional」とか「Outstanding」と表現する必要があります。「Excellent」では押しが弱いというふうにとられることもあり、言い方にもよりますが「Very Good」は「Very Good, but.....」を暗に意味していると取られることもあり、雇うのはやめた方がいいよいうメッセージとして受け取られる可能性大です。

なお、NIHの評価基準は今年から9段階評価に変更されています。

* 1. Exceptionally strong with essentially no weaknesses (Exceptional)
* 2. Extremely strong with negligible weaknesses (Outstanding)
* 3. Very strong with only some minor weaknesses (Excellent)
* 4. Strong but with numerous minor weaknesses (Very Good)
* 5. Strong but with at least one moderate weakness (Good)
* 6. Some strengths but also some moderate weaknesses (Satisfactory)
* 7. Some strengths but with at least one major weakness (Fair)
* 8. A few strengths and a few major weaknesses (Marginal)
* 9. Very few strengths and numerous major weaknesses (Poor)



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シロクマの屑籠(汎適所属) の『使えない個性は、要らない個性。』を読んで、かって私の「個性」に対する考えに”パラダイムシフト”を起こした橋本治の言葉を思い出しました:

「個性とは傷である」
個性を伸ばす教育と言う人の多くは、個性というものを誤解している。個性とはそもそも哀しいもので、そんなにいいものではないのである。........

一般性をマスターしたその上に開花する個性などという、都合のいいものはない。個性とは一般性の先で破綻するという形でしか訪れないーそういうものだからしかたない。個性を獲得するは「破綻」と「破綻からの修復作業」なのである
           ー橋本治「いま私たちが考えるべきこと」ー



Osamu-02-27-09橋本治の言葉が意味するものは、あまりにも多くの場面、とくに学校教育において、単なる「差異」を「個性」と取り違えているということに対する嘆きと怒りです。個性とは一般的な課題を成し遂げたことの延長線上にある「少し違った素晴らしい創造的な何か」とは本質的に異なる次元にあるものなのです。

「個性のもと」とは、一般性からは逸脱しドロップアウトしたところにあり、「役にたつ」とか「創造的」とは全く正反対の性質を含蓄する「破綻」なのです。さらに「破綻からの修復」という作業だって、その作業の最中にはそれが本当に「修復」なのか、逆にさらなる「破壊」なのかさえ本人には確信が持てません。そのうちほんの一部だけがたまたま他人や社会のニーズに合致しすることがあるのですが、そうなってやっとその作業が「破綻からの修復=個性」であったと事後承認されるのです。ですから言葉の定義上「使えない個性」というのはないのです。

また、いったん破綻から修復されればそのままずっと安定か?というと、決してそうではないのです。またそれはすぐに破綻してしましい、次の「修復か破壊か」事前にはわからない作業を開始しなければならないのです。

この終わりない、途方もなく苦しい、繰り返される作業のことを「オリジナリティー」と呼ぶことにしています。「オリジナリティー」の追求はは常に苦しいものです。でも、もし今あなたが苦しい思いをしているなら、それは必ずしも悪いことではないかもしれません。それは「オリジナリティー」に向かっている可能性があるのですから。







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発声練習「価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない」より:

卒業していく君へ。
......何度も何度も「研究には正解とか不正解とかない。誰も答えを知らないから研究になっているんだ。だから、自分の主張をとりあえず述べて、相手の反論が正しいと思えてから自分は間違っていたと考えれば良いんだよ。」と伝えたのだけど、......



発声練習next49さんの、表現するためには、ある程度しっかりした自分の判断基準=精神的な背骨を持つことが大切であるという考えにはもちろん同意します。そして、「研究には正解とか不正解とかない....」ということもおそらく真であるでしょうが、正解でも不正解でもない状態をそのまま許容するというのは、ある種のせっかちなひとにはなかなか難しいものです。さらに「正解でも不正解でもない状態を」受入れつつ、自分の主張を述べるというのも、かなりの高等技術です。

私はとりあえず(本当はよく考えて)暫定的な自分の正解を作ってしまうのが好きです。「正解でも不正解でもない状態を受入れつつ、自分の主張を述べる」のではなく、「自分の暫定的な答えを述べる」。検証や議論の末に、その「暫定的な答え」を変更/訂正するという作業を常に繰り返し、「暫定的な答え」は新しいバージョンへとアップされていく。このようなアクション指向の方が合っているひともけっこういるのではないでしょうか。研究には絶対的な正解はないかもしれないが、常に暫定的な答えがあるとしたほうが、楽に生きられるのではと思います。

この「暫定的な答え」は仮説(Hypothesis)とも呼ばれます。そして仮説に基づく研究の進め方「Hypothesisーdriven approach」が米国NIHのグラントアプリケーションの評価システムでは、最も高く評価される確率が高いのです。



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科学者は一般のひと向けて科学を”平易な言葉で”、”簡単に”、”短く”しかし”本質をとらえた”説明を要求されることがあります。ハーバードの心理学教授のスティーブン ピンカーはColbert Reportというバラエティートークショーで「あなたの専門は脳の機能らしいけど、難しそうなトピックだよね。ぼくにもわかるように、脳がどのうようにはたらくかを5語以下で説明してくれないか」というショーホストのコルバートの質問に次のように答えました。


Brain cells fire in patterns.


これはなかな素晴らしい出来であると思います。しかし、さすがにこれだけでは全員にはわからないので「そのパターンがひとの行動とかを決めているんだよね」とコルバートがナイスなフォローをすると

A pattern corresponds to a thought.


と続けます。

10語あれば完全に概念が伝えられますが、最初の5語は本質をとらえつつ「パターンって何だろう」という重要な好奇心をトリガーするうまい作りになっていると思います。




関連エントリー:スティーブン・ピンカーが語る「バイオレンスという神話」



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大学の業績と成果を評価して、それに応じて予算を配分しようという試みはいくつかの国で実施されています。英国は国内159の大学の52,400人の研究者の評価結果を先月発表しましたが、その評価法についてNature誌は新年第一号のエディトリアルでコメントしています。

Editorial, Nature 457, 7-8 (1 January 2009)
Experts still needed
There are good reasons to be suspicious of metric-based research assessment.


英国が使用した/する評価法には次の二つがあります:

Research Assessment Exercise (RAE):英国が現在まで使用してきた評価法で、各分野のエキスパートが研究者の業績を発表論文に重点を置いて評価するものです。分野をよく知る研究者による深い評価(in depth evaluation)が期待できる反面、”不透明”であるとか”客観性に欠けるかもしれない”という懸念があります。

Research Excellence Framework (REF):RAEに関する懸念を受け、英国では来年度よりREFと呼ばれる業績を数値化(主として”その論文がどれだけ引用されたか”)する”透明性の高い”評価法(マトリックス法)に転換する予定です。

透明性は確かに重要なファクターですが、最も重要なのは研究業績をより適切に/正当に評価できるかであるはずです。よって、ここでの問題は”透明性の高い”REFの方がはたして、研究業績をより適切に/正当に評価するのであろうかということです。

この点についてNature誌のエディトリアルはマトリックス法に疑問をなげかけます:

....publication citations have repeatedly been shown to be a poor measure of research quality.


例えば、Natureに掲載された論文では、新しい技術の開発の関する論文のほうが、科学的な”真理”の探求に重点を置いた論文よりはるかに多く引用される傾向があります。

An example from this journal illustrates the point. Our third most highly cited paper in 2007, with 272 citations at the time of inspection, was of a pilot study in screening for functional elements of the human genome. The importance lay primarily in the technique. In contrast, a paper from the same year revealing key biological insights into the workings of a proton pump, which moves protons across cell membranes, had received 10 citations.



E. J. Rinia(Res. Policy 27, 95–107; 1998)によれば、論文の引用数に重点をおいた数値化した評価法(マトリックス法)とエキスパートによるピアレビューを比較検討したところ5000の論文のうち25%で2つの評価法の乖離が見られ、その半分ではエキスパートが価値ありと評価した論文が、マトリックス法では価値なしという評価結果になっているようです。

The study found disagreements in judgement between the two methods of evaluation in 25% of the 5,000 papers examined. In roughly half of these cases, the experts found a paper to be of interest when the metrics did not, and in the other half, the opposite was the case. The reasons for the differences are not fully understood.



また、このエディトリアルでは言及されていませんが、インパクトファクターはジャーナルの商業的パフォーマンスのグローバルな指標という側面が強く、またその算出方法にも問題があります(詳しくは過去のエントリー「インパクトファクターについて知っておくべき10の真実」「インパクトファクター」を見てください)。

結論から言えば、マトリックス法は確かに透明性が高く、”客観的な”評価法と感じる人が多いかもしれませんが、科学者の間では正当な業績評価法としては現在受け入れられていません。

It is also important to note that the use of metrics as an evaluation method does not have widespread support within the scientific community.



ベストな評価法とは言い難いエキスパートによるピアレビューですが、業績/成果による予算配分では、(少なくとも当面は)この評価法に頼らざるを得ないということのようです。

Expert review is far from a problem-free method of assessment, but policy-makers have no option but to recognize its indispensable and central role.





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プロフィール

Motomu Shimaoka

Author:Motomu Shimaoka
島岡 要:三重大学医学部・分子病態学講座教授 10年余り麻酔科医として大学病院などに勤務後, ボストンへ研究留学し、ハーバード大学医学部・准教授としてラボ運営に奮闘する. 2011年に帰国、大阪府立成人病センター麻酔科・副部長をつとめ、臨床麻酔のできる基礎医学研究者を自称する. 専門は免疫学・細胞接着. また研究者のキャリアやスキルに関する著書に「プロフェッショナル根性・研究者の仕事術」「ハーバードでも通用した研究者の英語術」(羊土社)がある. (Photo: Liza Green@Harvard Focus)

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